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信長の野望『革新』あっけない武田家

●あっけない武田家
1573年から74年ころ、信玄病没と思われる。
あのにっくき信玄がいつの間にか亡くなっていた。寿命を期待してはいたが、いなくなってみると戦えなかったことが残念。

1578年春、武田との同盟切れると同時に深志城を攻め、箕輪城に武田勝頼を滅ぼす。
大した抵抗もなかった。

●上杉との決戦
1578年夏、関白になる。上杉との同盟が切れる。

1579年、いよいよ謙信との対決。
織田軍の北部はすべて謙信だけだ。

まず、箕輪城から沼田城(数千)へ約2万強で攻めると、春日山城から謙信が1万強で援軍に来た。
こちらは、謙信出陣で手薄となった春日山城へ富山城、魚津港から大筒隊等で攻撃(約5万)。
謙信は慌てて春日山城へ戻った。

その隙に、まず沼田城を攻め落とした。

その間、東北の小高城から上杉家の岩出山城(数千)へ1万弱で進撃。
上杉家の米沢城からやはり1万ほどの援軍。

これに対し、小高城からさらに竹中重治ら1万弱などを繰り出し、攻略に成功。

このとき、上杉家は新発田城と栃尾城に合わせて30万ほどの兵がいるにもかかわらず、謙信は援軍を差し向けなかった。
その兵が援軍に来ていたら我々も危なかったところだが、なぜか城にこもったままだった。

徐々にだが、謙信を追い詰めている。

戦の最中、登用していた勝頼が裏切ったのは、痛かった。この革新では、戦の最中に寝返ることがないので、安心だ。(後日、戦で出陣した部隊ごと寝返ることを知る。)

1580年夏、信長は名声1200を超え、兵力は160万を超える。
2番目の勢力は上杉で、46万。
上杉と接している前線は、各城10万から20万ほどを配置し、全面戦争を待っている状態だ。

上杉家は、新発田城などに兵を集中させ(20万以上)、上杉家の三戸城などの小競り合いには援軍も出さないところが不気味だ。
こちらは、上杉の本城を取り囲むように各出城を攻略し、兵糧攻めも考慮している。万全だ。

革新では、数十万の兵が動くと1か月で数十万の兵糧が減る。
上杉家は数十万の兵糧しかないので、戦が長引けば兵糧がなくなることとなる。

二本松城、沼田城、海津城、富山城などが前線になるが、今か今かと信長の下知を待っている。
さて、謙信との戦、始めようか。
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